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26歳修士卒の一般企業サラリーマンが気になるトピックスについて考えていきます。

稀代の天才科学者"フリッツ・ハーバー” 光と影の功績

 

18世紀の産業革命以降、科学技術は急速に進歩し、私たちの生活や社会は一変しました。

その結果、医療の進歩、食料生産力の向上、新たな産業の開発により快適な生活がもたらされ、寿命が延びて人口爆発が起きたのです。しかし、科学技術の進歩はさまざまな課題ももたらしました。

 

 

 

 今日紹介する記事はこちら

 

毒ガスをつくった男、フリッツ・ハーバーの数奇な人生

https://news.yahoo.co.jp/articles/7bbae71a860eaed55d966c431ca610005fc95a3e

 

 

 

フリッツ・ハーバーは、ドイツ出身の化学者であり、1918年にはノーベル化学賞受賞の栄誉に輝いた人物でもあります。

Fritz Haber.png

 

この際の研究がハーバー・ボッシュ法といい、水素と窒素からアンモニアを作りだすものでした。当時アンモニアの合成は困難でしたが、この反応によって比較的容易に合成が可能となり、それから作られる化学肥料は農作物の生産量の大幅な向上をもたらしました。

この発見は人類史でも大変な偉業であり、もし発見されてなかったら食糧難となり今日のような人口の増加がなかったともいわれています。

高校化学のテストで出題されるくらい有名な反応ですね。(笑)

 

 

その一方、フリッツ・ハーバーにはもう一つの肩書があります。

 

 

それは「化学兵器の父」とも呼ばれていることです。

 

 

 

ハーバーが45歳の1914年、世界を揺るがす大事件が起こりました。

第一次世界大戦の勃発です。

祖国ドイツが戦争を繰り広げるなか、ハーバーは、敵より強力な兵器(毒ガス)を使用し早期の戦争終結が結果として多くの命を救うことになるという大義を名目に、その開発を推進しました。

 

そうして開発された毒ガスの「塩素ガス」によって約5,000名の兵士が死亡し、約15,000人が負傷したと伝えられています。

 

さらに毒性を強化したものが両陣営によって生産され、最終的には第一次世界大戦を通し約100万人もの犠牲者を生んだと伝えられています。そして今日でも毒ガスは多くの人を苦しめています。

 

 

その後ドイツは大戦に敗れ、スーパーインフレ、ナチスの台頭、第二次世界大戦に向かうことになります。

ハーバーは毒ガスの開発者という印象、そしてユダヤであったことからドイツを離れざるおえなくなり1934年1月29日、バーゼルのホテルで死去します。

 

 

 

さらにこの話はまだ続きます。

 

 

ハーバーのなきドイツではナチスによりホロコースト、つまりユダヤ人の迫害がなされていました。その際、毒ガスによるユダヤ人の大量虐殺で「ツィクロンB」という化学物質が利用されていました。

 

実はこの「ツィクロンB」ハーバーが殺虫剤として開発したものでした。

 

 

 

彼は妻を失って(妻クララは毒ガス開発への抗議によって自殺している)まで祖国のために開発した毒ガスが、自分と同じユダヤ民族の大量虐殺の手助けをしてしまったというのはなんとも皮肉な話だと思います。

 

あの時代を生きた天才科学者、そして数奇な人生をおくった1人の人間フリッツ・ハーバーでした。

 

 

 

それでは今日はこんなところで。